前述の通り、九月のシルバーウィークに仕事の打ち合わせと合わせて九州に飛び、ライブと災害ボランティアに参加してきました。
まずは先立って急な申し出にも関わらずライブ開催を快く引き受けて下さった福岡のアトリエてらたさん、鹿児島の凡さん、心より御礼申し上げます。アトリエてらたさんではご店主自慢のストラトを貸して頂き、珍しく立ち弾きでライブを行いました。このストラトは一週間後奥田民生さんが弾いたらしいです。凡さんでは味わい深い古いピアノを佐々木さんが調律してくださり、またギブソンJ-200も貸して下さり、無事ライブを行うことが出来ました。ありがとうございました。また急な告知にも関わらずどちらのライブも満席のお運びを頂き、ファンの皆様にも心より御礼申し上げます。凡のお客さんで成り行き上チケットを買わされてしまったのに快く見に来てくださった木原さん、バレーボール姉妹、本当にありがとうございました。
慣例に倣えば旅の全てを記述したいところですが、今回は災害ボランティアで活動して見たこと感じたことを書きたいと思います。私が意図せず参加させて頂いたボランティア団体は、名前は伏せますがそれはそれはガチムチマッチョゴリゴリな団体さんでした。
事前の連絡では、「どんな服装や装備が必要でしょうか」に対して「親戚の引越しとか草刈りをちょっと手伝うくらいのつもりで来て下さい」という返答でしたし、土日祝日限定の活動ということでしたから、もう完全に「遠方からのボランティアさんを集めて無理なく家具の運び出しやお片付け・お掃除をやる団体、なんならお年寄りの話し相手をちょっとしてあげる」くらいなんだろうな、と完全に思い込んでいました。
実際、災害ボランティアの募集は各自治体の社会福祉協議会が行なっており、ウェブを見るとだいたい朝9時半とか10時にボランティアセンターで受付開始、並んでレクチャーやらなにやら受けて皆さんお揃いのビブスなど着用して車に乗り込んで被災者宅に向かい、1時間ちょっと作業したらお昼、午後も別のお宅に行って作業するともう3時、ボランティアセンターに帰還なんていう概要からてっきりそういうものを期待しておりましたので、明日も頑張りましょうねーなんてキャンプ用のチューリップハット被った皆さんとガンバ!ってポーズでご挨拶して自転車で宿に帰る、そんなつもりでおりました。
が、しかし。
9/20の朝8:30に(熊本市から自転車で30km走って)八代市の集合場所に到着しますと、そこにいたのは背中に冷却ファンを左右二つ付けたベストを着た猛者たち8人と重機を積んだ3台のトラックでした。誰もチューリップハットは被っていません。明るい挨拶も特にないままリーダーM氏が段取りを話す円に加わり、誰がどの車に乗るか指示される中私はO氏の3トントラックの助手席によじ登りました。「よろしくお願いします!」自分のチューリップハットはリュックサックの奥深くにしまいました。
隊列を組んだ車列がついた民家には、崩れ落ちた瓦やブロック塀の瓦礫が散乱、これを片付けるのが最初の任務でした。

え、これ?これをやるの?話が違うよー などと言う暇もなく、またしても私は持ち前の変な強い引きでガチ勢を引き当ててしまったことを瞬時に理解し受け入れ、覚悟を決めました。この二日間は間違いなくボロボロになるぞ、と。こういう宿命なのです、22歳の上京時に「バイト面接お気軽に」の張り紙でふらっと尋ねた工務店が反社だったあの時から。

奥に見える赤い爪を付けた黄色いユンボと手前の黄色のユンボが瓦礫を掴んで二台の間にある白いバッカンと呼ばれるコンテナに放り込むので、我らは瓦礫をユンボが掴めるところまで運んでいく、瓦礫が撤去されたところは丁寧に小石や砂を掃いて掃除する、という作業。
ものの15分でこれ。

終わるや否やユンボとバッカンをトラックに積んで次の被災家屋に。

このブロック塀、手前の門扉とズレてるのが分かると思うが、倒壊寸前の危険な状態。これを崩して綺麗にするという任務。
雑に崩せば奥の家屋のガラスが割れるか手前のカーブミラーを一緒に倒してしまうかの状況、一台のユンボが塀を抑えながらもう一台が崩す連携プレイ。
この崩したブロックも片付けて綺麗に掃除、30-40分でこれ。

重たい瓦礫を持って運ぶのがどうのこうの不平を考える以上に、この人たちほんとのプロだわ、の感嘆句しか出てこない。こういう作業を1日に5件も6件もガンガン回していくプロ集団。
この二件をこなして一度宇城市ボランティアセンターにいく。二件こなしてもまだ午前10時半。普段はスポーツ広場かなにかになっているところがボランティアセンターになっており、たくさんのトラック、ボランティア参加者、資材が集まってくる。ここでリーダーM氏は「ニーズ表」なるものを受け取り、次の現場を決める。
つまりこういうこと。ボランティア団体は作業の難易度(重度)によって恐らく3〜5くらいの階層に分けられていて、一番軽いものだと誰でも出来る家具の運び出しや片付け(私が期待していたのはコレ)、次いで重いものの運び出しなどになり、次いで工具や技術が必要なものに、そして重機を使うような最もヘビーな作業に。言うまでもなくこちらの団体は最ヘビー級に位置している。
被災者さんは家屋のやられ具合を社会福祉協議会に連絡し社会福祉協議会スタッフが現地を視察、重度を判定、「ニーズ表」が各家屋ごとに作られる。各ボランティア団体は自分の階層のニーズ表をとって先方にアポをとり、作業をしにいく、ということなのだ。
何軒か訪問して作業を繰り返す中、こういうお宅もあった。

このブロック塀といえるか言えないか微妙な一列だけのブロック、これが倒れてきていて危ないから撤去という作業なのだが、これは明らかにニーズ違い。重機を積んだトラック3台で駆けつける我が隊にはあまりにライトな作業で、仕方ない話だが土建屋さんの仕事をまるでしらないスタッフが重度の見たてをすればこういう間違いも起こる。
3分後。

この日最も重量級だった作業がこちら。

何が起こっているのかよくわからない写真。右側が宅地、左側は田んぼ。宅地を作る際、コンクリートやブロックで隔壁をつくり、そこに土を盛って家を建てるための土地を造成していく。その隔壁がアルミの手すりがついた状態のまま宅地側から剥がれてまるまる田んぼに倒れてしまった上に真夏の二ヶ月分の雑草が覆い茂ってなにがなんだかわからなくなっていると言う写真。この倒れたブロック積みの隔壁を全て砕いて回収して処分する任務。この田んぼと隔壁(があった位置)の間にはドブが流れている。きっつい。重機は田んぼに入れないし人力でやるしかない大仕事。
ここではチーム一フィジカルが強いO氏が電動ピック(はつり機)持ってブロックを砕いて飛びまわり、砕かれたブロック(水を吸っていて更に重い)をドブに濡れながらバケツリレーならぬブロックリレーで手渡しで運び、最後の人は1.5m上の宅地側に投げ上げるという昔ファミコンのハイパーオリンピックでやったようなことを60前のおっさんが必死にやりまして、というか正確には必死にやる皆さんの脚を引っ張らないように同等になど出来るわけがないけれどもなんとか1/3くらいの働きはしたいと死に物狂いでブロックを投げ続けたこの作業は流石に4時間以上かかり、終わった頃には強烈な熊本の夏の太陽が傾いて涼しくなっていて完全にグッタリしましたしお気に入りのリーバイスもスリップオンのシューズもドブの泥で台無しになりましたが何故なのでしょう、大変爽やかな心持ちで作業を終えて割り当てられた宿泊所(普通の一軒家の空き家、O氏が二ヶ月前から泊まってる、ワシはダニに刺されまくった)に行きましたね。
2日目も同じように倒壊した屋根や塀を撤去する作業を一日中やりました。どのお宅も高齢の方が多かったです。作業が終わると心からありがとうと述べられる高齢の被災者さん、殆ど表情を変えないM氏もその時だけは少しだけにっこりしていました。

二日間の作業を無事終えました。ほんとに「無事」怪我もなく終えられたことに安堵しました。最高レベルでヘビーでした。この団体は、熊本市で土建業を営むM氏の元に集まる仲間たちで、平日は自分達の仕事をやり、仕事が休みの日を全てこの災害復旧にあてている、プロの土建屋さんのボランティア団体でした。自治体から金銭をもらっているわけではない完全にボランティアです。発災から二ヶ月、全ての休日をこの作業に費やしている猛者たちでした。あ、2日目は女性も二人作業に来ていましたよ。
最後にM氏に聞いた話がとても印象的で忘れられない。「忘れられる為にやっている」と言っていました。
例えば10年前の熊本地震の後もやはりこういう活動をしていたそうで、作業をしたお宅の方にスーパーやらホームセンターやらで会うことがあるのだそうで、その時に深々と頭を下げあの時は本当にありがとうございましたと言われることが多かったのだけれど、それを言ってるうちは「まだ被災者のまま」なんだそう。仮設住宅を出て生活を立て直して人生を歩き始めて、そして自分のことなんか早く忘れてくれたら、どこかで会っても気づかないくらいになってくれたら、その人はもう被災者じゃ無い。だから自分のことなんて早く忘れてほしいんだ、と。(思い出して涙出てきた)
昔自分の歌に「強さの裏付けなき優しさはただの弱さ」と書いた事があるが、まさにそれを体現している、とてつもなく強くどこまでも優しい人達でした。この団体に出会えて、たったの二日間だけど作業させてもらえたこと、なんとか作業についていけたことを自分の誇りに思います。もらったロゴ入りのヘルメットは宝物になりました。
東京にいると被災地の状況なんて一月もすれば報道されなくなるから、発災から二ヶ月になるこのシルバーウィーク、ボランティアなんて募集してるんだろうか、災害復旧作業なんてまだやってるんだろうか、何もわからなかった。宇土市・宇城市・八代市の社会福祉協議会のホームページにはシルバーウィークの1週間前になってもボランティア募集の案内が出なかったので電話をかけてみてもまだ決まってないとしか言われなかった。いくつかのボランティア団体にメールフォームやらFacebookから連絡してみたけど忙しいのかネットの諸々が苦手なのか既読スルーすらあった中、唯一すぐ連絡をくれた団体がこちらの団体だった。M氏はそういうところもきちっとしていて早い。そういうご縁でこちらの団体に寄せて頂いた。随分とハードな親戚の草刈りだったけれども(笑)。
おそらく名前が広がってしまうことを喜ばない人たちだろうと思うのでこの団体のことは公表しない。実際私がSNSに上げた動画に文句をつけてくるつまらない輩も現れたので、私が公表することで団体の活動に支障がでてはいけないと思うし、何よりこの団体が助けるはずの人が助からなくなる。山本太郎が能登入りした時にぶっ叩くネット民たちには呆れたが、まさか私にも降りかかるとは。被災者の為に何もしない輩がネットの外から匿名で石を投げて歪んだ正義感で社会の邪魔をする。その石を打ち返して顔面に命中させたいわ。
能登もそうだろうけど、復旧、復興は何年もかかる。テレビでやらなくなったからもう元にもどったんじゃないのとか勘違いし易いし、能登のケースだとダメージの少なかった金沢への観光ばかり持ち上げてなんか変な方向に「いいことしてる感ムーブ」が移行しちゃったり、食べて応援も間違ってないけどなんていうか、エンタメ化してライトに消費しちゃう方向に持ってって心からフェードアウトさせちゃうやり方、悪い癖だなと思う。食べるならずっと食べ続けないと。昨日FM石川の方も言ってたが能登の復興もまだ全然なんだそうで、今回熊本市から自転車で南下するすがら見た倒壊した家屋、ブルーシートが貼られた屋根ばかりの町、当たり前だけどまだ二ヶ月、全然何も進んでいないのに東京では正直忘れられ始めてる。


各社会福祉協議会のページやFacebookでは連休中何人ボランティア集まりました!と誇らしげに書くのはいいが、募集したいのならもっと早く、わかるように出してほしいし、事前登録とボランティア保険への加入が必須ですと書いててもどこから登録できるのか全然わからないページもある。まあ、自治体ページあるあるだよね。まあでも普通の人達が普段の仕事をしながらネットに告知をまめに出すのって簡単じゃ無いと思うから、なんなら我々みたいな業種の人や会社をうまくコラボさせて告知をしたり各地の状況がわかるページを作らせるなんていうネットに長けた専門職とのマッチングの必要性を強く感じました。あまりに何も伝わってないからさ。
一回災害が起こったらその復興には何年もかかります。それが忘れられがち。我々ミュージシャンはチャリティーライブとかよくやるし私自身何度も開催して募金を集めて送ったりしてた。けど、本当にやるなら継続的にやらないと意味がないし、数十万円集めて送ったくらいでいいことしてやったなんて気になっていたことを恥じる。自分のことを忘れてもらう為にやるなんていう人からしたらさ、人に寄り添う心の大きさが砂粒と地球くらい違う。
寄り添う気持ちを強く、そして忘れてはいけないと、思いました。



























































































