6/11火曜日、自転車ツアー四日目青森の朝。今日は、青森の自転車界を牽引するあんてな青森の菊池店長と常連客の佐々木さんのお二人にガイドして頂き、安食の兄貴にも車でサポートして頂き、奥羽山脈を超えて秋田県に入り、北秋田市まで走る一日。
昨夜、笑顔亭の飲み会ににMOTOR WORKSのツナギで現れた佐々木さんに朝ラーメンに連れて行ってもらう約束をしていた。していたので、約束の1時間前に起床し、自転車に乗ろうかと思った。思った、が、すっかり忘れていたが、自転車は分解して輪行バッグに包んだままで、再組立が必要な状態でした。しまった。これが現代のロードバイクなら5分もかからず組み立ててスタート出来るところなのだが、そうは問屋が卸さない1977年製のロードレーサーである。
かんたんに言いますとね、輪行を組む時、前後の車輪を外して、そんで自転車をひっくり返してハンドルとサドル側が下になるように置いて、外した車輪をマジックバンドで左右からぎゅっと縛りつけてハンドルが動かないように固定して、その上からナイロンのシートを被せて、吊りベルトをつけて、よいしょっと持ち運んで電車にのります。サドルとハンドルの右端・左端で三角形の面を作って、地面に安定して置けるようにするわけです。
ところが、1980年代以前のスポーツ自転車はまるでカマキリの触覚のようにブレーキワイヤーがにゅいーんとハンドルの上に出ており、そのままひっくり返すとこのワイヤーが曲がってしまってブレーキがダメになる。なので、このワイヤーをブレーキレバーから外す必要があり私のユーラシアにはこのワイヤーをブレーキレバーのところでちょいちょいっと外せる機構が備わっていて(レバーの根元がカパッと開いてワイヤーにアクセス)、ちょいちょいっと外して新幹線で輪行してきた由。

で。ブレーキワイヤーを外すのはめちゃ簡単なのだが、外したワイヤーをもう一度レバーに引っ掛けて元に戻すのが一人でやると結構大変で、掛かる時はすぐ掛かるのだが掛からない時は左右で30分くらいやらないと掛からなかったりする。この朝、この作業を15分くらいやってて片側もひっ掛からない状態で、佐々木さんに連絡をとり、すみません、自転車の復旧に時間かかりまして朝ラーメン無理ですごめんなさいとお伝えした。
その後この作業が全然捗らず、安食の兄貴に電話して、あんてな青森さんへの着時間がかなり押しそうでごめんなさいと伝えて頂く。
結局35分くらいかかってようやくブレーキワイヤーが掛けられて自転車は復旧し、あんてな青森さんに向かった。
菊池店長と佐々木さんと、出発前の一枚。左が菊池店長、右が常連の佐々木さん、ワザと目瞑り。

安食の兄貴は車で私の9kgのリュックサックを運んで下さる。
この日と翌日、兄貴にはこの旅の為に買ったアクションカメラをお渡しして時々動画を撮って頂いたのだが、お渡しする時の私の設定ミスで全て音声がカットされた無声映画となった。
今日のルートは青森空港前に続く坂を登って黒石、平川と通って矢立峠を越えて秋田県は大館市、からの北秋田市までのルート。青森空港前まで距離にして4km程か、斜度4%くらいの登りが続く。お二人曰く今日の行程でちょっときつ目なのはここだけとのこと、矢立峠は全然大変じゃないと聞いて安堵半分肩透かし半分。奥羽山脈越えるぞと物凄く鼻息荒くしてたので。
登る道中。巨大なねぶたが保管されている。圧巻。

走り始めてしばらく、感嘆したのは菊池店長の引き(後続の人を引っ張っていくという意味)の技術の見事さで、後続車のスキル、(レベル)を細かくチェックしながら、早過ぎず遅過ぎず、絶妙に私のレベルの少し速いくらいの速度で引っ張ってくださる。もの凄く楽だったし、かといってゆるゆる楽に走るわけではないので結果的に非常に効率よく速いタイムで移動できた。ノーストレスで。これは引きのテクニックです。普段からあまり速くない人を快適にガイドするイベントを多数開催されている賜物でしょう。
私がロードバイク(といっても1984年製ブリヂストンユーラシア・スポルティーフだけど)を乗り始めた2000年代前半の頃、町田市・大和市周辺の自転車乗りの皆さんのチームに入れてもらいあちこち連れて回ってもらった際は皆さん最新のロードバイクでガンガン走られるので古過ぎてスペックもよくない大昔の鉄の塊でついて行くのが本当にしんどくて毎回筋肉痛でボロボロになったものだ。懐かしいなあ。
道の駅いかりがせきにてランチ休憩。さがりの焼肉定食を頂く。



そんな絶妙な菊池店長のリードで一回目の奥羽山脈越え・矢立峠を超えて、秋田県は大館市に入った。ヒャッホゥー!!
大館市には昭和五年創業の名店・サイクルショップ虻徳さんがあるので訪問しない手はない。
なんと今回の私の旅の為に菊池店長は虻徳さんに数日前にご挨拶に来てくださっており、実にスムーズにお迎え頂く。

こちらの三代目社長虻川さん、話を聞くとヤングの頃(まだ十分お若いですけど)にうちの隣町にお住まいだったと聞いて仰天。音楽もお好き、私のようなクロモリ(ようは鉄です)の自転車も好きということで色々お話が合い、楽しい訪問だったばかりか、北海道で雨の中を走ってあちこち汚れまくった私のユーラシアをクリーニングとメンテナンスして下さり、当然その間私はアレコレと技術面の質問攻めをさせて頂くわけだが、まあとにかく為になる事ばかりでとても有意義な訪問となった。虻川社長ありがとうございました。
菊池店長はここでお別れしまして、青森に単走で戻られた。本当にありがとうございました。引き名人でござました。次はライブで青森にお尋ねできますことを。
ここから先、佐々木さんに引いて頂いて本日のゴール鷹ノ巣駅まで走る。グイグイ引いてくださいとお願いし、快調に飛ばす国道7号線。佐々木さんも私がギリギリついていける速さを確認しながらガンガン引いてくれる。上手い。
鷹ノ巣駅に到着。

で佐々木さんと安食の兄貴と食事をし、佐々木さんは兄貴の車に自転車を積んで青森に帰られました。ありがとうございました。
兄貴はなんと、明日、明後日とまた私のサポートに青森から車で来てくださるそうで、頭が上がらない。本当にありがとうございます。
ビジネスホテル八木で就寝。爆睡。本日のサマリー。

6/12水曜日、自転車ツアー五日目。鷹ノ巣駅から能代まで走り、盟友コバヤシタツヒコの墓参りをした後に秋田市方面に向かって走れるだけ走って、そこから能代に戻ってライブ、という一日。
鷹ノ巣の駅のそばにあるビジネスホテル八木の朝食。立派。有難い。

朝8時少し前に鷹ノ巣駅を発つ。快晴。

国道7号線と米代川の土手道を使って能代にむかって西へ走る。前日の走りが良かった場合、朝から脚が良く回る。言うまでもなくメチャクチャ回してガンガン走る。
あっという間に能代に入る。

そして東能代駅。

途中、今夜共演する大谷さんとバッタリ遭遇。面白い。

大谷さん側からの写真。

コバヤシタツヒコの墓参り後、ここから南下してどこまでいけるか。ちょっと翌日以降の行程に難色がありルート変更の可能性もあるため、なるべく南まで降っておきたい。
じゅんさいの町三種町。

三種町のオシャレな若者は全員ここでしか服を買わない、OSHARE LAND ヒラサダ。しらんけど。

道中、私が常日頃好む感じのドメスティックなラーメン店があったので入ったが、おばあちゃんがかなり高圧的でちょっとだけ不味くなった。

そして追分駅

んで土崎駅まで走ってここまでにしといてやる。割とヘトヘト。

サマリーは96.6km。ライブがある日なんだから60kmくらいにしとくつもりが調子がいいので100km近く走ってしまった。明朝はここから南に向けてスタートとなる。
おし、能代に戻ってライブだ。頑張ろう。

さて。
なぜ能代に行くのか。なぜ能代を通って行くのか。本来なら青森から南下して岩手を通って仙台にいけばシンプルなのに、二度も奥羽山脈を越える苦行を課してまで、何故石田は能代にライブをやりにいくのか。
それはコバヤシタツヒコがいた街だからである。
コバヤシタツヒコと出会ったのは2000年だったと思う。1999年まで私はポリスターというレコードメーカーにおり、マネージメントもそのグループ会社に籍を置いていた。93年のデビューから6年お世話になったメーカーではあったが、まあ色々あって、2000年の三月からヒップランドという事務所にお世話になる。そこで自分のレーベルを立ち上げてリリースをすることになるのだが、この会社がもっていたスタジオ、それは代々木のオンボロビルの地下にあるそれはそれは見事なまでに古き良きオンボロスタジオだったのだけれど、とても居心地がよくてユニークなミュージシャンが沢山出入りしていて面白いところで、そこの店長が秋田県は能代市出身のコバヤシタツヒコという男だった。
とても人懐こい誰からも好かれる男で、スクーデリアエレクトロがライブやレコーディングをやる時、よく機材車を転がして手伝ってくれた。家族ぐるみで一緒によくキャンプに行った。当然よく一緒に呑んだ。タツヒコの結婚式では吉澤君のピアノで歌った。
その後タツヒコはギタリスト石田長さんのマネージャーになって全国を飛び回り名物マネージャーとして全国のライブハウススタッフの間でかわいがられていく。
そんなタツヒコが秋田は能代に帰ると言い出した時、誰もが残念がった。勿論私もだ。そして能代に帰ったタツヒコは、街を盛り上げようとあれこれ動き回る。その一つがノシロックフェスティバルという音楽祭である。確か2012年が最初で6年程開催したんじゃないかな。
私も10年前の2014年に呼ばれて出演した。その時のポスターとか画像がないものかと探したら大谷さんのバンドのウェブがヒットした。このポスター。

幼い女の子、これはタツヒコの娘さんである。当時4-5歳だったな。
タツヒコは能代の文化エンタメを牽引すべく奔走し尽力する。時に私の東北を回るツアーで能代の会場(夢工房咲く咲くだったかな)を用意してくれて共演もした。
サッカーの試合(我が町田ゼルビア vs ブラウブリッツ秋田)に合わせて秋田市でライブを企画してくれた時は市内で何かの学会があってホテルが全滅で一緒にカプセルホテルに泊まって狭い中で缶ビールを呑んだりもした。その時の写真。

そんなタツヒコが急逝したのが2021年1月。誰もが彼を惜しみ、葬儀には音楽業界から葬儀場の室内に納まりきれないほどの花が通路まで埋め尽くした。勿論スクーデリアエレクトロも花を送ったが、コロナ禍ということもあり能代を尋ねることは出来ないまま年月が過ぎ、東北を自転車で旅する時は絶対に能代に行こうと決めていた。そして私の自転車の旅も、いよいよ札幌から仙台を走れば日本縦断が完成というこのタイミング、そりゃあ能代行きますよ!奥羽山脈越えようじゃないの!二度でも三度でも越えてみますよ!となったわけである。
今回の会場は能代で以前共演した大谷さんが全てセッティングしてくださり、共演もお願いしましたところ、今回は電子ピアノ(本来はベーシスト)で、ケナー奏者の甲山三詠さんと一緒に演奏して下さるとのこと、とても楽しみにしておりました。ご本人達もおっしゃっていたが、大地・山脈・風・自然などを感じさせる雄大なサウンドでした。ちょっとうらやましかった。動画をどうぞ。
当日まではチケットが14枚しか売れてませんとか泣ける話だったが蓋を開けてみれば満席のお運びとなりまして感謝感激。

100キロ走った後のライブだったが別段しんどくもなんともなく普通にライブが出来た。人間成長するもんですな。
終演後の物販では沢山のCDが売れてまたまた感謝感激そんな折、スーッと近寄ってくる15-6歳の可愛らしい少女。えーこんな若い女子に言い寄られたらおじさん困っちゃうー、なーんて思ってたら(冗談だよ)なんとタツヒコの娘ちゃんで例のノシロックのポスターの幼女がこんなに成長していて感動したおじさん少し涙目になっているのがお分かりだろうか。

能代の皆さんそして安食ご夫妻そして大館から見に来てくださったサイクルショップ虻徳の虻川社長と音楽と自転車の話ばかりして盛り上がる宴会。

タツヒコの墓参りにもいけた、ライブも満席、タツヒコの娘ちゃんにも会えた、実に充実した一日だった。この日は大谷さんが支配人を務めるホテルにて爆睡。大谷さん何から何まで本当にありがとうございました。
さて、宴席で虻徳社長から翌日のルートを変更するよう強くアドバイスを頂いた。理由は熊。この内容については次回の記事にて。
続く。