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弊社預かりのグループまちだガールズ・クワイアの担当マネージャー小松田が先月をもちまして離職しましたことをご報告申し上げます。小松田氏には心血を注いだ全力のマネージメントワークにてグループ及びメンバー達の成長に大きく寄与してくれましたこと、心より御礼申し上げる次第です。

離職の理由は大きくは健康上の問題です。私と同い年ですからもう還暦前の身体、正直色々無理をさせてしまいました。現場に出なくていいので事務仕事の内勤をとも願い出ましたが、潔く身を引くとのことでした。

小松田が離れたと言うと皆さん町ガの心配ばかりされてますけど、片腕を失ったのはこの私ですよ。

小松田に最初に出会ったのは98年くらいか、同じ事務所の後輩バンド・アップル&ペアーズ(一緒にThree Taller Hatsをやっている岡田純のバンド)のマネージャーとして機材車を豪快に運転する小柄な女子でした。僕がその事務所から離れたのが99年で、その事務所もなくなったんだか潰れたんだかしらないうちに、2000年代の後半になってヤマハの新人アーティストの育成の仕事を請け負ってヤマハに打ち合わせに行った時にそこの社員になった小松田と再会して、ちょっとだけ(色々)びっくりしました(笑)。

そのうち震災があってこの業界も色々ひっくり返ってドタバタしだして、そんな折に僕が都心の所属事務所から離れて町田に個人オフィスを作りたいと思った時に、やはり地元相模原にもどってのんびり仕事したいと言っていた小松田に電話番だけていいから手伝ってと言って町田の新産業創造センターの一室にデスク一つだけ借りて始めたのがMACHIDA SONICでした。2012年のこと。

小松田と二人で始めたオフィスで、彼女の軽自動車であちこちツアーに出ました。面白いブッキングをしてくれるので楽しみなライブが多かった思い出が多い。そんな折、傍らで手伝ってたご当地アイドルのプロジェクトがつまんない揉め事起こして崩壊し、残されたメンバー達を救済するために作ったグループがまちだガールズ・クワイアでした。当初小松田は石田のマネージャーとしてちょっと手伝うだけだからと言いながらどんどんのめり込んでいき、そのうち僕のマネージャーであることをすっかり忘れて町ガのことしかやらなくなりました。が僕的にはとても助かりましたのでそれでよかったと思っていました。

気がつけば小松田と個人事務所を作ってから13年が経過し、僕らも還暦前になってしまいました。若い頃のようには身体が言うことを聞かず老いという現実が目の前にちらつくようになり、出来ることも限界が見えてきました。

敵ばかりで理解者の少ない私にとって本当に相棒というべき存在でしたので彼女の不在はとても堪えますが、仕方ないことですので私も身体が動くうち、いつまで現役でいられるか分かりませんが、ギリギリまで頑張らなければと思う次第です。今まで本当にありがとう。

彼女の離職に伴い今後は町ガメンバー自らによるセルフマネージメントでの活動とすることとしました。結成10年と言うタイミングでこうした体制になることも一つの区切りで、ゆくゆくは自分たちで会社を立ち上げてくれるといいなと私は思っております。

皆さんから沢山の心配の声を頂きます。あのマネージャーさんがいなかったらあの子たち大変じゃないか!何も出来ないじゃないか!など。いえいえ、みんなしっかりした大人です。6人のうち半数はもう30代ですし、何も出来ない産まれたての子馬みたいに思う(いたい)方もいらっしゃるようですが、全然しっかりした、聡明な子達です。何も心配は要りません。リーダーえりかを中心にこれまでと変わらず皆で力と知恵を合わせて動き出しております。

最近では各地への遠征も本人達が社用車を運転して行っております。これに関しても長距離運転なんて危険だ!社長はあの子達になぜ危険なことをさせるんだ!とお叱りのメールやDMが頻繁に届きます。しかし本当にそうでしょうか。

車の運転というのは別に特殊なものではなく、誰でも運転免許は取得出来ますし、地方の方々でしたら家族全員一台ずつ車を持って毎日出勤の足にしているのが普通でしょう。当グループもメンバー6人のうち5人が免許をもっておりますから、一人100km交代しながら運転すれば大阪まで着いてしまいます。

高速道路なんて危ない!と申される方も多いのですが、交通事故が多いのは一般道の「交差点」です。高速道路は皆同じ方向を向いて走るだけですので信号も歩行者もなく、非常に単純なドライブです。無理にスピードを出さなくても良いのですし。仮に高速道路や長距離運転に危険のリスクがあるとするなら、それは高齢で身体に不具合の多い私や小松田の方がよほどリスキーで、若く体力に満ち身体能力も抜群に高(いのは彼女たちのステージングを見れば明らかですよね)く聡明な若者たちが交代しながら運転する方がはるかに安全マージンが高い事は言うまでもないでしょう。よくお考え下さい。なぜ初老のマネージャーの運転なら安全で、若いメンバーだと危険だと考えてしまうのか。

これはメンバー達にもよく言うことですが、自主運営も遠征の運転も、バンドマンなら皆当たり前にやることです。なぜアイドルになると何も出来るわけがないと考えてしまうのか。やれば出来るのにやらせてはいけないと考えてしまうのか。そもそも、エンターテイメントで人を感動させて食べていくという道を歩むことは、人が当たり前に考えていることの更に向こうを考えていかないと成し得ない仕事です。「出来ない」を言っていたらすぐに置いてかれる世界です。やれることは全てやる、特に今の厳しい時代はそれがマストですから、メンバーには力強く生きる術を学んでほしいと思っております。

まだまだ若く迷うことも多いガールズ・クワイア及び弊社ですが、この10年必死に前を向いて努力を続けて参りました。今後は更にメンバー同士の結束を固めて未来を切り開いてくれることでしょう。おぼつかない足取りに見えるかもしれませんが、そんな時は応援の声掛けをお願いします。

今後とも私たちファミリーを宜しくお願い申し上げます。

合同会社MACHIDA SONIC 代表 石田ショーキチ






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先日のスクーデリアのライブは大盛況のうちに終えることが出来まして、ご来場頂きました皆様には心より御礼申し上げます。この歳になってまだスクーデリアが現存しており且つニューシングルをリリース出来るということ、そしてメンバー(特に寺田さん)が実に生き生きとしていてプレイも脂がのっていること(私はちょっと手に心配が出ておりますが)、とても嬉しいことです。ニューシングル「時間の扉」、お買い上げ頂きました皆さんいかがでしたでしょうか。スクーデリア独特のエレクトロサウンドにこれまでになかったシティポップサウンドを絡めた新境地。ありそうでなかった新しいダンスミュージックを生み出せたと自負しております。全国のCDショップでの販売は4/30を予定しておりまして、その際は弊社まちだガールズ・クワイアのバージョンも同時に発売する予定ですのでよろしくお願い申し上げます。

さて。そのライブにて、私はTシャツの販売で大失敗を犯しました。Tシャツのデザインは今回のシングルのジャケット(私のデザインです!!)とスクーデリアのロゴの2デザインで、半袖と長袖、白と黒とで六種類作りました。ここ数ヶ月イベント会場でお会いするお客さんたちから長袖Tシャツのリクエストをたくさん頂いておりましたので、そうか、時代は長袖か、と半袖と同じ数だけ作ったのですが、結果、半袖の半分も売れず大量に売れ残りました。。。
ジャケットデザインの方はフルカラー印刷、ロゴの方は金箔貼り、と非常にコストがかかる製造しかも特急で製造をお願いした為に非常に高いものとなってしまい、半袖を5000円、長袖を6000円という価格設定にしましたところ、見事にも無惨な結果となりまして、、、猛省しているところです。。。

このままですと会社の財政に大打撃になることが確実となっておりまして、本来4/30に販売開始の予定だったニューシングルと併せて、弊社通販サイトにて販売致しますので是非ご購入頂きたく存じます。

悩みに悩んだ末、価格の改訂と特典を以下のように決めました。

1, 通販サイトにて半袖Tシャツは5000円据え置き、長袖Tシャツは1000円値下げの5000円
2, ライブ会場にて長袖お買い上げのお客様に一枚ごとに弊社通販サイトの1000円クーポンを発行
3, 長袖Tシャツにはメンバー3人のサインが入ったポストカードのおまけ付き
4, ライブ会場にて長袖Tシャツをお買い上げのお客様にもポストカードを発送
5, 通販サイトにて長袖Tシャツにプラスでもう一枚(長袖でも半袖でも)お買い上げの場合一枚追加ごとに1000円お値引き(通販サイトでの支払画面ではそのままの合計金額になりますが、こちらで決済する際にお値引き致します)

という設定にて、今週のうちに弊社通販サイトでニューシングルとTシャツの売り出しを開始致します。何卒ご利用頂けますようお願い申し上げます。

2と4のライブ会場にて長袖を買われたお客様でクーポンとポストカードご希望の方は、チケットの予約サイトで発行されたFから始まる予約番号とお名前・ご住所をご明記の上、メールにてstore@machidasonic.comまでご連絡下さい。

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皆様明けましておめでとう御座います。

世界中が幸福に溢れる一年となりますように。

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まずは秋田から山形の豪雨災害の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。このブログにて走ったまさにその地域のことで、大変胸が痛みます。どうぞ早くの復興をお祈り申し上げます。

6/14金曜日、旅七日目。辛い目にあった一夜が明け、この温泉旅館での朝食。朝食がきちんとしてるか否かは宿の評価を大きく分ける。ここは勝ちでした。朝メシは、勝ち。

因みに私は体質的にパンが食べられないので和食しか受け付けないのだが、ここのところ全て和朝食の宿ばかりで助かっている。

出発前の恒例行事のタイヤ空気圧測定。足りなければ携帯型のインフレーターでエアを足す。今回のタイヤ(コンチネンタルスプリント)は非常に優れたタイヤで乗り心地もグリップも高い性能ながらエアがあまり減らない。高級なタイヤになればなるほどエア抜けが激しいのがチューブラータイヤの常なのだが。

タイヤにちょっと空気を入れるだけで汗だく。まだ8:50なのに。なんだこの暑さは。

 

昨夜あんなに苦労した坂も降りるのはあっけなく、出発して40秒で最上川の橋の上。美しい。

 

本日のルートは国道47号線を最上川に沿って東に、新庄市を抜けて奥羽山脈アタックでいよいよ宮城県に入り、鳴子温泉までの行程。

最上川沿いの国道は風光明媚で大変気持ちがよい。道の駅ならぬ川の駅に立ち寄ったり。

 

 

とにかく暑い一日だった。何度も道の駅で休憩して水分補給となんなら座ったまま少し眠ったりもしたが、川沿いの道は涼しげで宜しい。

 

 

新庄市のしらかは食堂で中華そばを頂く。実に美味しい。

 

 

新庄市を出てどのくらい走ったか、いよいよ山岳ルートになる。県境まで34km。

 

 

ここは地獄のテーマパークか?と思いきや、韓国の建物様式を並べたという道の駅。レア。

そしていよいよ、宮城県との県境が近づいてきました。

そして、峠越え。境田分水嶺というこの峠。

 

越えました。標高も354mとかなり低く、非常にあっさり峠を越えてしまいました。峠付近まで民家や店舗も点在していて普通の田舎道、激坂も皆無でいわゆる峠越えのカタルシスは無く、スルッとカジュアルに県境を超えてしまいまして、ちょっと肩透かしでしたが、ファンの皆さんから頂いた沢山の熊よけの鈴の効果もあって安心して宮城県境に入ることができました。大量の熊鈴のサウンドをどうぞ。

 

ここから今日の停泊地・鳴子温泉までは10キロ程度なので、程なくして鳴子温泉にスルッと到着。16時頃か。

 

鳴子温泉駅。

 

ナイス。

 

そして。またしてもキテレツな宿を引いてしまいました。この私の宿の引きの強さはなんなんでしょうか。ほんとに。

この温泉旅館を予約したのはもう二ヶ月程前のこと、じゃらんに掲載のプランからで、予約してから一週間くらいして電話がかかってきて、チェックインは8時なのかと聞くので、はい、自転車で峠越えしてくるので何時に着けるかわからないので8時にしてます、と答えると、その時間だと夕食が作れないと言う。は?だってプランに載せてるでしょと言うと、もっと早いチェックインなら作れるが8時だとちょっと無理だと言う。料理人が帰ってしまうのか、まとめて作らないといけないから一人だけ遅くできないのか、理由はわからないがとにかく無理だと言う。仕方ないので、じゃあ夕食分は返金してください、自分で外で食事に出るので。近くに何かあるでしょ?温泉街なんだから、と言って話を終えた。

変な宿だとは思っていたが。着いてみるとまたみるも見事にボロいホテル。早めに着いてしまったが中に入ると「今留守にしていますので、こちらのインターフォンから内線をかけて下さい」とボール紙に汚い字で書かれている。その内線番号が最初が0で、そのあと090から始まって11桁。完全にゼロ発信で携帯電話にかける外線電話である。どこが内線だよ。施設内にスタッフはおらず。なんじゃそりゃ。

電話すると、あー石田さんね、早かったですね、お部屋用意してありますから入ってください、と。更には、明日の朝食は何時にしますかと言うので七時でお願いしますというと8時じゃだめですか、頑張っても7時半ですね、という。じゃあこっちに聞くなよ(笑)。8時に朝食なんて自転車の旅には遅すぎるが、仕方ない。

で、鍵が空いている当該の部屋に勝手に入る。オートチェックイン(笑)。まああちこちボロいホテルだがまあ文句は言いません、部屋は普通に綺麗だし。とりあえず温泉に入るが大浴場もボロボロでシャワーも出が悪くてまあ仕方ないですねえ。

宿の中を歩き回ってみると廊下に前の日の下げ膳が出たまんまの部屋が散見、なかなかだなー。洗濯をしようと一階にいくと、「コイルランドリー →」の看板があるので行ってみるとコインで動く客向けの洗濯機は既に無く、宿のスタッフが使う用の洗濯機が3台あった。誰もいないのでその一台を借りて勝手に洗濯を済ませる。これはラッキーだったが。

日も暮れたので付近に食事にでる。普通の民家を改装した品のいい居酒屋のカウンターにて晩酌。自分ではまず注文しない鮎がお通しで出てくる。何十年かぶりの鮎。

 

30代半ばか40歳かくらいの旅の女性が来店、カウンターの一つ空けて向こうの席に座り、色々話しかけてくる。正直言ってこう言うのちょっとめんどくさいんだが相手をしていると、温泉マニアで休日はあちこちの温泉宿に旅しまくっているのだという。どこの宿に泊まっているのかとグイグイくるので、あそこのボロホテルだというと、自分も以前泊まったがあそこは酷い!という話がマシンガントークとなり止まらない。二泊して夕食の内容が全く同じだったとか一日は朝食を忘れられたとか。先程の朝食は8時じゃないと無理と言われた件を話すと店の女将さんが「あそこは朝お母さんが作りにくるからねえー」ってどうなってんのほんとに(笑)。お母さんの都合で客の飯の時間が決まる(笑)。内線と見せかけた外線電話の話をすると、もう宿の経営が全然ダメなので外にバイトに出てるようで、朝は掃除と片付けで宿に来るがあとは外で働いているんだと言う。8時チェックインで夕食出せないのはバイトに行くから作れないのだった。もう、なんていうか、同情したらいいのか、辞めるべきだと言った方がいいのか、レアな宿に泊まれたと喜ぶべきなのか、俄然混乱してしまって変な笑いが出た。

この居酒屋、小綺麗だし女将の品もよくて居心地は良かったが所謂小料理しかない感じだったので(女性客の相手もちょっと疲れたし)何か食べにと店を出ると二軒隣に中華料理屋があった。入ってみると先客がカップル2名、すいませーんと言うも人は出てこず、しつこくすいませーんというとようやく長髪を後ろで結んだ無精髭の中年男が煩わしそうに出てきて「はい?」という。はい?って。俺なんか悪いことした?「もう終わりなの?」と聞くと「はい」と聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で言う。まだ7時半だぞ。俺の何が気に障ったのか知らんが、歓迎されないならまあこちらも居たくはない。宿に戻ってちょっと飲んで寝た。七日目はこれで終了。

6月15日土曜日。自転車旅最終日の朝である。

8時の朝食まで時間があるので大浴場に向かう。すると廊下をこれから洗濯するぐるぐる巻きに巻いたシーツを抱えたおっさんが歩いてくる。長髪を縛って無精髭。昨日の中華屋の中年が働いてる。なんなんだこの町は(笑)バイトなのか善意のボランティアなのかはたまた実は家族なのか。

風呂から上がって暫く、時間は8時10分を回った頃、宿の主人がいやー昨日はすみませんでしたねーと言って朝食のお膳を持ってきた。全然遅い。内容もショボ。


9時前に宿を出る。1500m先のコンビニで不要な荷物を家に送るため段ボール箱を抱えながらの片手運転はなかなかスリリング。最終日、仙台に向けて出発、今日もご安全に。

 

途中、人生5本の指に入る中華そばに出会い大層感動。

昼食後、暑さがきつく脚が回らなくなる。

下手をするとライブに間に合わなくなる。急がなきゃ。そうだよ、今日はライブやるんだよ。

あと20km

 

 

 

 

そして、、たくさんのお客さんにお迎え頂いて、大団円のゴール!

会場のCafe de Licilleにてセレモニーで皆さんにお祝い頂く。というか盛大に弄られる。by FUMIHIRO ENDO。

御店主が用意して下さったミディアムスケールのストラトを弾いたり自分の12弦アコギを弾いたり、たっぷり演奏しました。

遠藤さんがホストを務めてくれたお陰でいい旅の終わりになりました。

ゴールした翌日は仙台といえば蕎麦の神田で。

 

沢山のお客さんからゴールのテープ(豪華なプリント入り)やこれまでの自転車の旅の地図が書かれた巨大なタペストリーや金メダルザクザク頂いて、私は本当に幸せです。更に面白いことに、お客さん有志の方々から「お車代」なる一封を頂く。中にはなんと最上川沿いの温泉旅館でメシに有り付けずタクシーを走らせた「4020円」が!!!面白い!!!

2020年、ごく個人的な思いから始めたこの自転車の旅ですが、まさかの日本縦断までしてしまうとは思ってもみませんでした。自転車の一番凄いところ「乗り手が諦めない限り自転者は何処まででも走り続けてくれる」即ちこれまさに人生の投影、これが少しでも伝わったらいいな、と思っています。

一つの旅が終わりました。次の旅はどこに行くのかわかりませんが、また何処かの町でお会いできたら嬉しいです。その時まで皆さんもお元気でいて下さい。

 

Fine.  Thanx to all.

BLOGイエメンの旅人

先日東北をツアーした際にお客様から頂いた、ぺろっこうどん、そしてレトルトタイプの山形牛を使った芋煮。これを合わせて食べてみました。

ぺろっこうどんは群馬のひもかわうどんみたいに幅が広い。中身は木の板みたいな物がごっそり入っていてこれを茹でる。

 

芋煮は湯煎して温める。

 

 

これをつけ汁にして頂きました。美味しかったです!!ぺろっこうどんは茹でる時に気をつけないと麺同士がくっついてしまうので、とにかく沢山の湯で板を一枚ずつ入れて茹でないとくっつきます。ご注意。

 

東北では芋煮という行事が盛んらしいけどこっちで言うところのバーベキューみたいなもんでしょうか。今度東北行ったら招かれてみたいなあ。

ということで美味しい麺ありましたらまたお土産に下さいねー。美味しかったらここに書きます。

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6/13木曜日、本日も快晴。能代の大谷さんのホテルで6時起床するも、ライブ翌日なのでギターを宅急便で次の公演地の仙台に送らなければならないのでクロネコヤマトの営業所の開店を待つ。そんなの営業所行かなくてもコンビニから送れば待たずに済むやんけ、と思うだろ?ギターはコンビニから送れるサイズ上限の160サイズを超えてるので営業所からじゃないと送れないのである。

本日も車でサポートして下さる安食の兄貴の車にギターと自転車を積み込みクロネコヤマトの営業所に向けて走る途中、兄貴が叫ぶ。

「師匠!朝ラーメン行きましょう!!美味いところがあるんです!!」

話のついでに説明するが、私が師匠と呼ばれる所以は「イシダショウキチ」を並べ替えると「ダイキチシショウ」になると1995年だったと思うが初めてプロデュースという仕事を頂いたポリドールのrosyというバンドのドラムの田部さんが発見したことに起因する。別に何かの師範でもお笑いの偉い人でもない。ただのアナグラム。

で、兄貴が珍しくラーメンと叫ぶ。朝からやっていてすぐに売り切れになってしまう店があるという。それは行かなきゃ。なるほど。ラーメンショップでした。ラーショは早朝からやってるところ多いよね。秋田は能代まで来て食べなれたラーショの味に出会えてなんだかほっこりしました。美味しかった。

さて。昨夜の宴席にて、大館の名門サイクルショップ虻徳の虻川社長にルートの変更を強く勧められた件。理由は熊。今年の秋田県は兎に角熊の出没と被害が多いという。毎週人が死んでいるのだという。なんでも秋田の熊は普通のツキノワグマではなくヒグマとの混雑種でメチャクチャ気が荒く人を襲うのだという。なので、秋田県から宮城県への奥羽山脈越えをもっと南下して山形県から山越えをするよう強く勧められた。

うーむ。しかしなあ。

こちら、当初予定していたルート。

秋田市は土崎駅から90km走って横手駅のステーションホテルに宿泊、翌日奥羽山脈アタックは国道108号線で標高584mの仙秋鬼首トンネルまで登り、これを抜けて宮城県に出、更に走って宿泊は鳴子温泉で、というルート。この標高についても大変だと言われたけれど、関東神奈川エリアの我々にとって一つの指標である箱根峠860mやヤビツ峠761mを考えると、まあ登れない高さではないし、このくらいのクライマックスは旅の終盤に格好のイベントともいえる。が、やはり山岳国道を長く走るので熊遭遇の危険度が高い、と。

非常に親身にアドバイス頂いたので、ここは従う事にした。しかも秋田県南部や山形県の自転車乗りの皆さんに「東京から来てる青いクロモリが奥羽山脈越えにアタック中だから見かけたらサポートしてあげて」と声をかけてくださった。なんてありがたい。ありがとうございました。

変更したルートはこちら。

酒田市まで降って最上川沿いに東に走り、中山峠(境田越え)の標高は350mと一気に低くなって難易度は下がる。良くも悪くも楽にはなる。が、いくつか問題がある。秋田市から横手市までは90kmほど走れば良かったので、楽勝の計算だった。しかし酒田を回る場合、翌日奥羽山脈をこえて鳴子温泉までリーチ出来るところまで走ろうと思うと、殆ど宿がないのだ。必死に検索すると清川という駅の近くに温泉宿を一つだけ見つけた。この温泉宿(で痛い目に遭うのだがそれは後述する)まで土崎駅から130kmの距離がある。いつものように朝6時に出発とか出来れば着ける距離だが、何しろクロネコヤマトの営業所の開店を待って発送、その後1時間弱かけて土崎まで車で移動してからのスタートである。温泉宿のチェックインも21時がリミット。ノロノロ走ったら絶対に間に合わない距離だ。今思うと兄貴の車にギターを積んでおいて土崎からライドを開始して、昼前とか適当なところでヤマトの営業所を探してギターを発送すれば良かったと気づくが、元々90kmしか走らない予定で朝ラーメン含めてその日の流れが出来上がっていたので、土崎駅に着いたのは10時であった。ここから130km。21時までに。割と絶望的。だが決めたからにはその道を走るのみ、決心して準備をする。

と、そこに、10年前にノシロックで共演した藤田ゆうみんさんが激励に駆けつけてくれた!

なんと熊よけのスプレーを頂いた!!なんていい人!!有難うございました!!!

さて、兎にも角にも11時間足らずで130kmを走破しないとならない地獄のライドの開始!行くぞ!!

南下するルートだが、地元の人はみなさん口々に国道7号のバイパスを行けとおっしゃる。信号もなくてとても走りやすいから絶対それがいい、と。しかしこれがちょっと何でした。皆さん勧めるのは車で走った時の感触で、自転車の場合とは大きく違う。確かに信号はほとんど無かったが、他の下道と交差する際に立体交差(陸橋、オーバーパス)になるため、その度にアップダウンを食らう。このクソ急いでいる時に無駄な登りは避けたい。実に避けたい。しかしもうこの道で走り始めてしまったので行くしかない。踏む。海沿いの国道7号線をガンガン踏む。

道の駅岩城にて安食の兄貴とカキフライ定食。

 

 

道の駅岩城からみる海。

 

ランチ後もガンガン踏んで南下、由利本荘市に入る。

多くのアップダウンを経ながらの突貫ライド。かなりきつい。午後5時頃、ようやく道の駅象潟(きさかた)。だいぶ太陽も傾いてまだ残り60km。ここまでお付き合い頂いた兄貴、青森にお帰り頂く。これ以上私に付き合わせてしまうと明日のお仕事に差し支えますので。三日の間私の10kg近いリュックを運んでくださり、経口補水液を常に下さり、本当に助かりました。ここからは一人で走ります。ありがとうございました。またお会いしましょう。トップギアねえさんにもよろしくお伝え下さい。

10kg弱のリュックを三日振りに背負い、走る。ペダルを回す。回しまくる。左に見えるは鳥海山。

 

午後6時半、山形県に入る。残りまだまだ50km。

午後7時15分、ようやく酒田市。日も暮れて暗くなった。残り27km。

ナビに従って(自転車専用のナビね)最上川に沿って走るが、街灯も何もない道を時速35kmオーバーで突っ走るので、周りに何があるのか何もわからない。

あと20km、あと15km。チェックインタイムリミットの時間がどんどん近づく。まずい。ふと、まわりの水田に光るものが見える。なんだ?

なんと、蛍。時折飛び交う蛍の光に癒されながら、ペダルを踏み続ける。

あと10km、5km。ナビによるとあと1km。やっと到着か。と思った矢先、目の前に絶望が立ちはだかる。残り600mが信じられない激坂。斜度10%。つまり600mすすむと標高が60m上がる。温泉宿は山頂にあったのだ。絶望。半分くらいまで登って、自転車を降りて押す。なぜなら脚を翌日に残しておかないと奥羽山脈越えに支障をきたすから。

汗だくになって押して登り、山頂の古い温泉旅館に到着。チェックインリミットの10分前。間に合った。130kmを鬼漕ぎしつづけ、間に合った。間違いなく人生で5本の指に入るしんどいライド。腹ペコ。何か食べたい。が、ほんとに何もない真っ暗など田舎、周囲に何もない。ほんとうに何にもない。

チェックインして男性の従業員(若くてちょっと応対がチャラい感じ)に和室を案内される。そこで彼にお願いする。130km自転車でぶっ飛ばしてきて、腹ペコで死にそうなんです。なんでもいいので何か食べさせてもらえませんか。

「あー、もう厨房の火おとしちゃったんで無理っすねー」

いや、あの、営業の調理をお願いしてるんじゃなくて、ほんとになんでもいいので口に入れれるものを頂けませんか。ここから降りるともう戻ってこれないので。

「あー、玄関の鍵はあいてるんで入れますけどねー」

いや、そうじゃなくて。この坂、自転車じゃ登れないんですよ。登れないし、周囲になにもないでしょ?

「あー、じゃあタクシーっすかねー」

そうですか。わかりました。冷てえなあ。じゃあタクシー呼んでもらえますか。といって彼と玄関まで降りていく。宴会場の前を通る。宴会の終わったテーブルに鍋料理の食い散らかした残り。お櫃にご飯のこってねえのかよ。そんなものでいいのに。ちきしょう。

10分ほど待つとタクシーが登ってきた。乗車して運転手さんにかくかくしかじかと事情を話す。それは酷い目にあったねえ、しかし飲食店なにもないからねえ、セブンイレブンに行ってお弁当でもかうしかないかねえ、と申されるのでセブンイレブンまでお願いする。

走り出す。本当に何もない真っ暗な道。6-7kmほど走った時、あれ?この道オレが走ってきた道じゃね?と気づく。そして着いたセブンイレブン。完全に来る時通過したセブンイレブン。わかってりゃ買ってから宿行ったのに。悔しさ全開。お弁当と缶ビールと酒を買ってタクシーで宿に戻ってもらう。タクシー代4020円(これも後におもしろいことになる金額)なり。

食事を終えて温泉に入る。お湯激アツ。日焼けしまくった肌が焼ける様に痛い。死ぬかと思った。強烈な一日の最後らしいフィニッシュ。ああ。横手ステーションホテルに泊まりたかった。

本日のリザルト。

明日はいよいよ2度目の奥羽山脈越え。爆睡。つづく。

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6/11火曜日、自転車ツアー四日目青森の朝。今日は、青森の自転車界を牽引するあんてな青森の菊池店長と常連客の佐々木さんのお二人にガイドして頂き、安食の兄貴にも車でサポートして頂き、奥羽山脈を超えて秋田県に入り、北秋田市まで走る一日。

昨夜、笑顔亭の飲み会ににMOTOR WORKSのツナギで現れた佐々木さんに朝ラーメンに連れて行ってもらう約束をしていた。していたので、約束の1時間前に起床し、自転車に乗ろうかと思った。思った、が、すっかり忘れていたが、自転車は分解して輪行バッグに包んだままで、再組立が必要な状態でした。しまった。これが現代のロードバイクなら5分もかからず組み立ててスタート出来るところなのだが、そうは問屋が卸さない1977年製のロードレーサーである。

かんたんに言いますとね、輪行を組む時、前後の車輪を外して、そんで自転車をひっくり返してハンドルとサドル側が下になるように置いて、外した車輪をマジックバンドで左右からぎゅっと縛りつけてハンドルが動かないように固定して、その上からナイロンのシートを被せて、吊りベルトをつけて、よいしょっと持ち運んで電車にのります。サドルとハンドルの右端・左端で三角形の面を作って、地面に安定して置けるようにするわけです。

ところが、1980年代以前のスポーツ自転車はまるでカマキリの触覚のようにブレーキワイヤーがにゅいーんとハンドルの上に出ており、そのままひっくり返すとこのワイヤーが曲がってしまってブレーキがダメになる。なので、このワイヤーをブレーキレバーから外す必要があり私のユーラシアにはこのワイヤーをブレーキレバーのところでちょいちょいっと外せる機構が備わっていて(レバーの根元がカパッと開いてワイヤーにアクセス)、ちょいちょいっと外して新幹線で輪行してきた由。

で。ブレーキワイヤーを外すのはめちゃ簡単なのだが、外したワイヤーをもう一度レバーに引っ掛けて元に戻すのが一人でやると結構大変で、掛かる時はすぐ掛かるのだが掛からない時は左右で30分くらいやらないと掛からなかったりする。この朝、この作業を15分くらいやってて片側もひっ掛からない状態で、佐々木さんに連絡をとり、すみません、自転車の復旧に時間かかりまして朝ラーメン無理ですごめんなさいとお伝えした。

その後この作業が全然捗らず、安食の兄貴に電話して、あんてな青森さんへの着時間がかなり押しそうでごめんなさいと伝えて頂く。
結局35分くらいかかってようやくブレーキワイヤーが掛けられて自転車は復旧し、あんてな青森さんに向かった。

菊池店長と佐々木さんと、出発前の一枚。左が菊池店長、右が常連の佐々木さん、ワザと目瞑り。

安食の兄貴は車で私の9kgのリュックサックを運んで下さる。
この日と翌日、兄貴にはこの旅の為に買ったアクションカメラをお渡しして時々動画を撮って頂いたのだが、お渡しする時の私の設定ミスで全て音声がカットされた無声映画となった。

 

今日のルートは青森空港前に続く坂を登って黒石、平川と通って矢立峠を越えて秋田県は大館市、からの北秋田市までのルート。青森空港前まで距離にして4km程か、斜度4%くらいの登りが続く。お二人曰く今日の行程でちょっときつ目なのはここだけとのこと、矢立峠は全然大変じゃないと聞いて安堵半分肩透かし半分。奥羽山脈越えるぞと物凄く鼻息荒くしてたので。

登る道中。巨大なねぶたが保管されている。圧巻。

走り始めてしばらく、感嘆したのは菊池店長の引き(後続の人を引っ張っていくという意味)の技術の見事さで、後続車のスキル、(レベル)を細かくチェックしながら、早過ぎず遅過ぎず、絶妙に私のレベルの少し速いくらいの速度で引っ張ってくださる。もの凄く楽だったし、かといってゆるゆる楽に走るわけではないので結果的に非常に効率よく速いタイムで移動できた。ノーストレスで。これは引きのテクニックです。普段からあまり速くない人を快適にガイドするイベントを多数開催されている賜物でしょう。

私がロードバイク(といっても1984年製ブリヂストンユーラシア・スポルティーフだけど)を乗り始めた2000年代前半の頃、町田市・大和市周辺の自転車乗りの皆さんのチームに入れてもらいあちこち連れて回ってもらった際は皆さん最新のロードバイクでガンガン走られるので古過ぎてスペックもよくない大昔の鉄の塊でついて行くのが本当にしんどくて毎回筋肉痛でボロボロになったものだ。懐かしいなあ。

道の駅いかりがせきにてランチ休憩。さがりの焼肉定食を頂く。

そんな絶妙な菊池店長のリードで一回目の奥羽山脈越え・矢立峠を超えて、秋田県は大館市に入った。ヒャッホゥー!!

 

大館市には昭和五年創業の名店・サイクルショップ虻徳さんがあるので訪問しない手はない。

なんと今回の私の旅の為に菊池店長は虻徳さんに数日前にご挨拶に来てくださっており、実にスムーズにお迎え頂く。

こちらの三代目社長虻川さん、話を聞くとヤングの頃(まだ十分お若いですけど)にうちの隣町にお住まいだったと聞いて仰天。音楽もお好き、私のようなクロモリ(ようは鉄です)の自転車も好きということで色々お話が合い、楽しい訪問だったばかりか、北海道で雨の中を走ってあちこち汚れまくった私のユーラシアをクリーニングとメンテナンスして下さり、当然その間私はアレコレと技術面の質問攻めをさせて頂くわけだが、まあとにかく為になる事ばかりでとても有意義な訪問となった。虻川社長ありがとうございました。

 

菊池店長はここでお別れしまして、青森に単走で戻られた。本当にありがとうございました。引き名人でござました。次はライブで青森にお尋ねできますことを。

ここから先、佐々木さんに引いて頂いて本日のゴール鷹ノ巣駅まで走る。グイグイ引いてくださいとお願いし、快調に飛ばす国道7号線。佐々木さんも私がギリギリついていける速さを確認しながらガンガン引いてくれる。上手い。

 

 

鷹ノ巣駅に到着。

で佐々木さんと安食の兄貴と食事をし、佐々木さんは兄貴の車に自転車を積んで青森に帰られました。ありがとうございました。

兄貴はなんと、明日、明後日とまた私のサポートに青森から車で来てくださるそうで、頭が上がらない。本当にありがとうございます。

ビジネスホテル八木で就寝。爆睡。本日のサマリー。

 

6/12水曜日、自転車ツアー五日目。鷹ノ巣駅から能代まで走り、盟友コバヤシタツヒコの墓参りをした後に秋田市方面に向かって走れるだけ走って、そこから能代に戻ってライブ、という一日。

鷹ノ巣の駅のそばにあるビジネスホテル八木の朝食。立派。有難い。

朝8時少し前に鷹ノ巣駅を発つ。快晴。

国道7号線と米代川の土手道を使って能代にむかって西へ走る。前日の走りが良かった場合、朝から脚が良く回る。言うまでもなくメチャクチャ回してガンガン走る。

 

 

あっという間に能代に入る。

そして東能代駅。

途中、今夜共演する大谷さんとバッタリ遭遇。面白い。

大谷さん側からの写真。

コバヤシタツヒコの墓参り後、ここから南下してどこまでいけるか。ちょっと翌日以降の行程に難色がありルート変更の可能性もあるため、なるべく南まで降っておきたい。

じゅんさいの町三種町。

三種町のオシャレな若者は全員ここでしか服を買わない、OSHARE LAND ヒラサダ。しらんけど。

道中、私が常日頃好む感じのドメスティックなラーメン店があったので入ったが、おばあちゃんがかなり高圧的でちょっとだけ不味くなった。

そして追分駅

んで土崎駅まで走ってここまでにしといてやる。割とヘトヘト。

サマリーは96.6km。ライブがある日なんだから60kmくらいにしとくつもりが調子がいいので100km近く走ってしまった。明朝はここから南に向けてスタートとなる。

おし、能代に戻ってライブだ。頑張ろう。

さて。

なぜ能代に行くのか。なぜ能代を通って行くのか。本来なら青森から南下して岩手を通って仙台にいけばシンプルなのに、二度も奥羽山脈を越える苦行を課してまで、何故石田は能代にライブをやりにいくのか。

それはコバヤシタツヒコがいた街だからである。

コバヤシタツヒコと出会ったのは2000年だったと思う。1999年まで私はポリスターというレコードメーカーにおり、マネージメントもそのグループ会社に籍を置いていた。93年のデビューから6年お世話になったメーカーではあったが、まあ色々あって、2000年の三月からヒップランドという事務所にお世話になる。そこで自分のレーベルを立ち上げてリリースをすることになるのだが、この会社がもっていたスタジオ、それは代々木のオンボロビルの地下にあるそれはそれは見事なまでに古き良きオンボロスタジオだったのだけれど、とても居心地がよくてユニークなミュージシャンが沢山出入りしていて面白いところで、そこの店長が秋田県は能代市出身のコバヤシタツヒコという男だった。

とても人懐こい誰からも好かれる男で、スクーデリアエレクトロがライブやレコーディングをやる時、よく機材車を転がして手伝ってくれた。家族ぐるみで一緒によくキャンプに行った。当然よく一緒に呑んだ。タツヒコの結婚式では吉澤君のピアノで歌った。

その後タツヒコはギタリスト石田長さんのマネージャーになって全国を飛び回り名物マネージャーとして全国のライブハウススタッフの間でかわいがられていく。

そんなタツヒコが秋田は能代に帰ると言い出した時、誰もが残念がった。勿論私もだ。そして能代に帰ったタツヒコは、街を盛り上げようとあれこれ動き回る。その一つがノシロックフェスティバルという音楽祭である。確か2012年が最初で6年程開催したんじゃないかな。

私も10年前の2014年に呼ばれて出演した。その時のポスターとか画像がないものかと探したら大谷さんのバンドのウェブがヒットした。このポスター。

幼い女の子、これはタツヒコの娘さんである。当時4-5歳だったな。

タツヒコは能代の文化エンタメを牽引すべく奔走し尽力する。時に私の東北を回るツアーで能代の会場(夢工房咲く咲くだったかな)を用意してくれて共演もした。

サッカーの試合(我が町田ゼルビア vs ブラウブリッツ秋田)に合わせて秋田市でライブを企画してくれた時は市内で何かの学会があってホテルが全滅で一緒にカプセルホテルに泊まって狭い中で缶ビールを呑んだりもした。その時の写真。

そんなタツヒコが急逝したのが2021年1月。誰もが彼を惜しみ、葬儀には音楽業界から葬儀場の室内に納まりきれないほどの花が通路まで埋め尽くした。勿論スクーデリアエレクトロも花を送ったが、コロナ禍ということもあり能代を尋ねることは出来ないまま年月が過ぎ、東北を自転車で旅する時は絶対に能代に行こうと決めていた。そして私の自転車の旅も、いよいよ札幌から仙台を走れば日本縦断が完成というこのタイミング、そりゃあ能代行きますよ!奥羽山脈越えようじゃないの!二度でも三度でも越えてみますよ!となったわけである。

今回の会場は能代で以前共演した大谷さんが全てセッティングしてくださり、共演もお願いしましたところ、今回は電子ピアノ(本来はベーシスト)で、ケナー奏者の甲山三詠さんと一緒に演奏して下さるとのこと、とても楽しみにしておりました。ご本人達もおっしゃっていたが、大地・山脈・風・自然などを感じさせる雄大なサウンドでした。ちょっとうらやましかった。動画をどうぞ。

https://facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid024k4fZgf3x4drSxZX4DLVJ7PZQoNrz94NSJ4mG8ftSWEiGemmJeRxfAPvPLeVToo2l&id=100002515321492

当日まではチケットが14枚しか売れてませんとか泣ける話だったが蓋を開けてみれば満席のお運びとなりまして感謝感激。

 

100キロ走った後のライブだったが別段しんどくもなんともなく普通にライブが出来た。人間成長するもんですな。

終演後の物販では沢山のCDが売れてまたまた感謝感激そんな折、スーッと近寄ってくる15-6歳の可愛らしい少女。えーこんな若い女子に言い寄られたらおじさん困っちゃうー、なーんて思ってたら(冗談だよ)なんとタツヒコの娘ちゃんで例のノシロックのポスターの幼女がこんなに成長していて感動したおじさん少し涙目になっているのがお分かりだろうか。

能代の皆さんそして安食ご夫妻そして大館から見に来てくださったサイクルショップ虻徳の虻川社長と音楽と自転車の話ばかりして盛り上がる宴会。

タツヒコの墓参りにもいけた、ライブも満席、タツヒコの娘ちゃんにも会えた、実に充実した一日だった。この日は大谷さんが支配人を務めるホテルにて爆睡。大谷さん何から何まで本当にありがとうございました。

さて、宴席で虻徳社長から翌日のルートを変更するよう強くアドバイスを頂いた。理由は熊。この内容については次回の記事にて。

続く。

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6/10月曜日。まだ小雨が残る長万部。海岸にて撮影した動画、朝七時。この顔、やる気のなさ全開。

 

前日に雨と寒さの中、登ったり降ったりを繰り返すと翌日に疲れがかなり残る。

今日は函館まで120km走って、そこからフェリーに乗って人生初の青森に上陸の予定。青森ではお久しぶりにお会いする、ブラウブリッツ秋田の熱烈サポーター安食ご夫妻が待ち構えている。ご夫妻とはもう十年も前に秋田県は能代市にて開催されたノシロックフェスティバルに出演した際に知り合い、交友を続けて頂いている。近年仕事の都合で隣の青森に移住され、青森の情報を色々と下さる。

その中で面白いのが、青森の新聞テレビ等々で我がFC町田ゼルビアの試合結果など非常に多く報道されていて青森県民はゼルビアに非常に関心があるのだそうだ。

何故か。

言うまでもなく黒田監督である。青森山田高校サッカー部を常勝名門チームに育て上げた黒田監督は青森では一大ヒーローなのである。それ故黒田監督が現在指揮をとっている我が町田ゼルビア、これは青森県民にとって大注目のクラブチームで、青森県内のカフェやバーでゼルビアの試合のパブリックビューイングがよく行われているという。

そうしたパブリックビューイング会場の1つ、あんてな青森さんと言うカフェにご夫妻はよく行っているということで、しかもなんとこのカフェは自転車に乗る人が多く集うカフェで、自転車のチームもあると言う。イベントやツーリングもよく開催されていると言うことで、青森の自転車乗りの聖地らしい。

https://www.facebook.com/antenna.aomori

そこで安食ご夫妻は、ゼルビアの古いサポーターである私が自転車で北海道からライブをしながら旅をするとこちらのお店で話してくださったもんだから、ここのご店主菊池さんとお店の常連の佐々木さんが、青森から秋田への奥羽山脈越えをサポートして下さるという有難いお話になったのでした。多謝!!

で、安食ご夫妻が私と皆さんが連絡を取れるように立てて下さったメーリングリストにて本日私が函館から青森に渡ると申したところ、夜に一席設けて下さるということになりました。これは嬉しい有難い、なにしろいつも一人旅なので旅先の店は殆どGoogleマップを頼りに訪問するのが常なので、地元の方に美味しいお店に連れて行ってもらえるのは最高なのである。

ところが、フェリーというのはそんなに都合よく出来ておらず、運行する会社が二社あるものの、両社あわせても運行間隔が3時間おきなので、そんなに都合のいい便がない。

皆さんと19時に飲み始めようと思うとすると、18:25青森着のフェリーに乗らなければならないがこれが14:35函館発で、自転車を乗せてもらうには出船45分前に手続きをしなければならないので13:50に函館着、長万部から120km走ってこの時間に函館というのは私の足では完全に無理。

次のフェリーだと17:30発で21:10青森着、これなら間に合いそうだが九時過ぎまでお待たせして飲み会って我々のような酒の妖怪のような種族ならまだしも一般の清い肝臓をお持ちの皆様にこれはちょっと酷ではないか。しかしどんなに急いでもこれしか乗れないので、遅くなりますがすみません、と皆さんにご連絡し、自転車乗船のために16:45までに函館港に着かなければならないスケジュールが確定した。

普通に走れば朝7時に出発して16時前には120km先まで着きそうなものだが、なにしろ前日の疲れというか寒い雨の中を走った精神的疲労度が半端なく、足がとにかく回らない。自転車がなんか乗りにくくて仕方がない。辛い。進まぬ。うぐぐぐ。こんなんで間に合うのか。

長万部から八雲と南下する国道5号線は海岸線、アップダウンは殆どないものの回らない脚、かつては栄えていたであろうこの道の両側にいくつものカニ飯屋ドライブインの廃墟群、コンビニすらない国道。北海道各地で見られる荒廃した姿がここにも。

長万部から20kmほど走って(普通なら1時間で走る距離なのにこの日はここまで2時間近くかかっている)黒岩駅で休憩。

ここで何気なくサドルを見ると、何故か4cmくらい後ろにズレているではないかー!そりゃ乗りにくいわけだ。工具を取り出してサドルをリセット。乗りやすくなった。

まっすぐ南下していた国道5号線がカーブしながら東に向かうと俄然アップダウンというか海岸線が丘陵地帯になり登っていく。それほど辛くはないがなにしろダルい。

長万部から57キロ走るのに5時間もかかって、ドライブインやかたで昼食。ほたてフライ定食。絶品。

朝7時から5時間走ってまだあと60km残しており、これを4時間程で走らなければならない。出来るのか、今日の俺に。こんなダルダルでダメな俺に。

そんな折、メーリングリストに安食のチカコ姉さんから入電。

「師匠、新幹線という手があります!」

え!新幹線?考えても見なかったが、たしかに新幹線でも青森に渡れる。おー。新幹線。時刻表を調べてみると、17:26新函館発に乗ると、1時間で青森につくではないか!これなら皆さんをお待たせしない!しかもなにより、新幹線の発駅である新函館駅は函館港よりも20kmほど北(手前)なので、20km短縮出来てあと40kmだけ走ればよいということになる。至れり尽くせりである。最高!!新幹線最高!!!

チカコ姉さんの文は更にこう続いていた。

「師匠、17:26の新幹線に乗るには16:55函館駅発の函館ライナーに乗ればOKです!!」

???

函館駅?なんで?ワシは直接新函館に行こうとしてるのに?なんで函館行かんとならんの?20kmも無駄に走って??更に20km戻るの??

ハッ!

っと我に帰る。チカコ姉さんは、石田は「日本縦断の旅」をしているのだから北海道最南端の函館まで行くに違いない、行って当然だと思っているのだ!途中で近道して函館に行かず新幹線に乗るなどあの石田ショーキチがやるわけないと思っているのだ!なんということか!俺は縦断という使命をわすれてショートカットしようとしていた!こんなヘタレ精神で何がロックか!何がユーラシアか!大陸の名前が泣くぞ!!クソっ!

ガチっとスイッチが入る音が脳内で鳴りまして。そこからの道程、ガチ漕ぎに漕ぎまくり、時速35kn巡行でミサイルのように走りました。この一件を「チカコという名のトップギア」と申します。チカコ姉さんのお陰で私は鬼の形相で函館まで走り切る事が出来ました。ありがとうございました。

途中に見た美しい駒ケ岳駅と駒ケ岳。

16:30、函館駅着。

自転車をバラして輪行を組み、16:55函館ライナーに乗車。新函館で新幹線に乗り換え、人生初の青森県に上陸。

お連れ頂いたお店は笑顔亭。どれを食べても美味でした。


美しい津軽びいどろのタンブラーで頂いた日本酒も最高でした。ご案内頂いた皆様、ありがとうございました。


びっくりしたのはあんてな青森常連客の佐々木さん。遅れてきた彼が着ていたのはなんと2004年に少数販売したMOTORWORKSのツナギであった!!驚き!!

この日のリザルト。お疲れ様。四日目につづく。










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6/8土曜日、旅一日目。晴天の札幌。惜しまれつつも閉店するMusica hall cafeにて最後のライブ、のつもりで決めたライブ日程だが移転して存続する事が決まったということで、まずまず目出度いことになって、現店舗での最後のライブをファンの皆さんと。

今回の旅は軽量化の為に歌詞や楽譜がたんまり収納されたiPadはもってこず、サーバーに置いてあった楽譜を何枚かセブンイレブンでプリントしてライブに臨み、珍しくすべて自作曲だけでのライブとなった。

終演後ファンの皆さんにお見送り頂いて札幌から自転車旅スタート、13時すぎか。余市まで60km走る。

 

途中腹が減り地元のお客さんに勧められた、かとうラーメン手稲本店にて塩ラーメンを頂く。透き通った見た目同様味の透明感も素晴らしい一杯でした。

フルサイズのライブを一本終えた後の走行なので、国道5号線がまあ辛いこと辛いこと。全然脚が回らないどころか、小樽の前後では予想していなかったアップダウンの連続に苦しめられる。そんな折にふと見えた海は心を和ませる。

そして、小樽の街は美しい。

そして余市。かなり脚を擦り減らして日も暮れて到着。この日泊まったのはゲストハウス余市というところで、ゲストハウスといいながらも広い洋室の個室で最高に快適な宿でした。オススメ。

繁華街で齢90のお母さんが焼く巨大な焼き鳥でタンパク質を補給して明日に備える。

この日のリザルト。距離は高々60kmなのに獲得標高(トータルでどれだけ登ったか)が450mもあるのでかなりきつかったことが見て取れる。

 

6/9日曜日、旅二日目。朝6時前に宿を出る。長万部まで110kmほど走る予定だが昼前から雨の予報なのでなるべく早く出発したい。国道5号線はとりあえずひたすら登り、稲穂峠。きつい登りでした。

稲穂峠を越えるトンネルを過ぎると一気に降って共和町。ノスタルジー溢れる鉄道跡。

その次の町、岩内でGASHの石塚さんと会い、ランチもご馳走になる。まさかのサクラマスが最高に美味でした。

岩内は日本海側の一本道をひたすら走るのだが、トンネルだらけで飽きた。トンネルを出ると雨。雨の次はトンネル。辛い。寿都町から太平洋側にむけて峠を登る。また峠。辛い。しかも雨中。辛い。寒い。辛い。

雨足が強くなる頃、峠を登り切ったところに駐車場があり、広いトイレがあった。軒先がまた広く、そこで座り込んで雨宿り。座ったら寝てしまった。30分くらい寝ただろうか、雨が弱くなったので長万部に向けて坂を降る。

降る途中で見た全国退廃度ナンバーワン駅舎。

長万部に着いて温泉旅館にチェックイン。宿の女将さんが靴乾燥機をかしてくださる。有難い。

ここの宿がまた古くてボロくて味があって、傑作だったのが大浴場である。男湯と女湯とそれぞれ暖簾がかかった入り口があるが、はいってみると脱衣所は一つしかなく、どちらから入っても同じ。混浴ならそう書いとけよ(笑)。

あっつい温泉に浸かって明日に備える。

この日のリザルト。獲得標高787m。雨の中よく頑張りました。

続く。

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おかげさまで札幌から仙台までの725kmの自転車ツアーが無事に終わり、日本縦断が完了しました。日常に戻って日々慌ただしく過ごしております。道中応援して下さった皆さん、ライブにお越し下さった皆さん、ありがとう御座いました。

この旅の記録を何回かに分けて文章に残したいと思います。

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北海道東北自転車ツアー・準備編

いよいよ日本縦断を完成させる最後のピース、北海道は札幌から仙台を走る旅が始まる。

昨年町田から仙台までそして根室から札幌まで走ったドイツFELT社のアルミのロードバイクは軽くて走るのが楽、輪行を組むのも楽、言うことない。最高。

が、自分としてそれでいいのか。本当にそれでいいのか。石田ショーキチという人間のアイデンティティとして、ブリヂストンユーラシアに乗らなくていいのか。

重かろうが遅かろうが、少年時代にお前はその自転車に憧れてそれを手にし全国を走る喜びを味わってきたのではないのか。他人と同じようなロードバイクで一体何がロックか。

そんなことを悶々と一ヶ月くらい悩んだ末、77年式ユーラシア・ロードレーサーで行くことを決意。

ただ、決して乗りやすい自転車ではないし、ギアの組み合わせなど工夫して作らないと奥羽山脈を二度越えるこの旅には適さない。まずはそこから。

FELTはよく出来たロードバイクで、ギアはフロント2枚50-34、リアは9速で13-28。クランク長は170mm。自転車のギアというのは簡単に言うと前が大きく後ろが小さいほど速く、前が小さく後ろが大きいほど登りが楽。FELTのギア比はロードバイクとしては標準的で、高速巡行は13/50、登坂は28/34というもので非常に乗り易い。坂も楽。

これに対しユーラシアの純正スペックはフロント50-42、リアは5速で14-22。クランク長は165mm。地獄のようなスペックである。

一昨年広島から鹿児島まで走った際には、まずフロントを51-38に変更し、リアのローギア22だけ登坂用に28に変更して走った。私のような貧脚だとこれでもなかなかしんどく、熊本県の「三太郎峠」と呼ばれる赤松太郎峠、佐敷太郎峠、津奈木太郎峠の三連続の峠には本気で苦しめられたので、やはりフロントは36以下のギアを付けたいところ。

しかしながら大きなギアと小さいギアの差が大きくなるとリアの変速機のスペック(キャパシティと言う)を上げなければならず、古のロードレーサーにあまり不細工な長いケージの変速機はつけられない(付けたくない)ので、色々と試行錯誤の末、枚数の少ない後ろ5枚を補うために前を3枚にするという暴挙に出た。50-47-34。47は非常に使い勝手がよい。

次いで、シフトレバーの位置をどうするか。普通はダウンチューブに二つのレバーが並ぶのだが、これが走行中特に登板中に操作するのがなかなか辛い時があり、可能なら現代のロードバイクのようにハンドルから手を離さずに操作したい。ということでサムシフターなるレバーを手に入れてあっちこっちに色々付けて試して、かなり独特な位置に取り付けた。

そしてタイヤ。このユーラシアはチューブラータイヤという特殊なタイヤを使用する。一言で言うとパンク修理が簡単には出来ず、タイヤそのものを貼り替えることになる。熊本の海岸線を走行中にパンクして非常に難儀した経験から、通常のクリンチャータイヤに交換しようかと悩む。しかしクリンチャータイヤにするためにはリムを付け替えるか別のホイールを用意するかしないとならず、悩んだ末によりパンクしにくいタイヤに(今まで使っていたタイヤの二倍の値段がする)、シーラントというパンク防止剤を注入してチューブラーのまま使用することにした。

最後にシート。サドルとも言う、ようはイス。座るところ。普段はセラサンマルコというイタリアのメーカーのROLLSという最高にカッコいいクラシカルなシートを使っているのだが、これが長距離にはちょっとしんどく、固定ローラー台でトレーニングしていると尿道がジンジンしてきて辛い。サドルはルックス的にとても大きな意味を持つが、背に腹は変えられないので、現代のシートに付け替えた。

そして組み上がったユーラシア2024年バージョン。非常に乗り易くなった。欲を言えばリアのトップギアを14より小さく、フロントのアウターギアを51か52にすればもっと高速巡行出来るようになるが、変速機のスペックからしてもこれが限界なのでひとまずコレで行こうと決めた。

6月6日、羽田から新千歳に飛ぶ。

6月7日、一日だけ支笏湖で釣りを嗜む。野生のブラウントラウトは今回も私に冷たかった。道すがらの国道でヒグマが道路を横断する様を目撃。あまりに勇壮、圧巻。森林の王者。人間はちっぽけだ。

札幌まで30km自転車で移動しながら細部の調整を繰り返す。
ムジカホールカフェの店主と居酒屋で一献。焼き鳥も魚も美味。

明日から旅がスタート。どんな旅になるやら。

続く。

BLOGLive

「僕はきっと、僕が思うよりずっと愛されている」

石田ショーキチ30周年感謝祭スリーデイズ、大団円で終了、本当にたくさんの皆さんにお祝いして頂き言葉では表せないくらいの感謝です。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。三日間のライブが終わり、グッズの発送作業などひたすらこなし、あっという間に1週間が過ぎていました。ようやくこうして文を書ける余裕ができましたので、ご挨拶申し上げます。

子供の頃から鼻っ柱が強く過剰に自信家で人に嫌味ばかり言って嫌われ者だった自分がこんなに多くの人から支えて頂いているなんて、20年前では考えられないことでした。ライブ配信を見た母親から感動したと連絡がきたのは、そういうところだと思います。

一年半前から準備を始め、殆ど一人で制作してきましたので(グッズ面だけマネージャーの手を借りました)なかなか忙しい日々でした。特に7-8月はTシャツのデザインと膨大な量の楽譜書きと山のような稽古に明け暮れ、身体が七つ欲しい気分でした。健康面でも非常に気をつけて生活しておりましたが、本番二日前に長男が発熱(後の検査でインフルエンザと判明)した時には肝を冷やし私一人9/3までホテル暮らしでした。

Day 1。10年振り?9年ぶり?に復活したスクーデリアエレクトロはなかなか新鮮でした。寺田さんも進化していたし、吉沢くんの才能は相変わらず流石で、テツさんトーベンさんとも久しぶりに同じ舞台を踏めました。しょうこさんとマキオさんには万全の信頼を置いていましたので稽古を一日減らしたくらいでした。今回特に力を入れたのは弊社ガールズクワイアの選抜メンバーMGC THREEをコーラスに加えた三曲、特に「一万マイルの彼方へ」でした。アルバムELECTROCKSでは僕一人で三声コーラス(フィラデルフィアのDouble exporsure風)をしていますが、これをライブで再現したかったのです。彼女たちは一回の稽古だけで見事にモノしてくれました。それと、この曲のギターソロは親友の故zoeが弾いてくれたもので、自分的には非常に苦手な旋律だったのでこれまではサポートしてくれるギタリストに任せてきましたが、この感謝祭では逃げずに自分で弾こうと思いまして、まるで高校生の頃みたいに毎日練習して身につけました。スクーデリアの3人はまたライブをやろうと意気込んでおります。

Day 2、MOTORWORKS。黒沢健一亡きあと、このバンドをどうすべきかずっと悩んでおりました。悩んではいましたがこの30周年感謝祭で何らかの形でやらないといけないと考えておりましたので、まずは田村君と佐子さんのスケジュールを押さえる交渉を一年半前に始め、どういう形であれMOTORWORKSをやろうということになりました。三人だけでバンドを続けるというのは僕の中にはなく、誰か歌い手を立てたいと思っており、誰に頼んだら良いのか、一年間悩みました。歌の上手い友人は沢山いますので、何曲かずつかわるがわる歌ってもらうということも考えましたが、それだとこの日一回だけの限定復活にしかならず、意味を成さないなと思い、やはり特別な一人をボーカリストに据え、バンドを復活させなければならないと思いました。そんな中、町田直隆はどうだろう、と思いました。もう20年も前、彼のバンドBANGEE JUMP FESTIVALを何作かプロデュースしましたが、武蔵野のジャックナイフと呼ばれた剥き出しの命でかみついてくるような歌は強烈な存在感で、ある日弾き語りの彼のライブを見に行くと今もその存在は変わらずギラギラしていました。彼には命懸けという言葉がピッタリで、まさに命懸けで歌に取り組んでいた健一に引けをとらない存在、町田君しかいないと確信し、バンドに誘いました。

最初のリハーサルはツアー中の田村君不在で町田君、僕と佐子さんとの3人稽古でしたが、あまりにすんなりフィットするので佐子さんと驚きました。その後田村君と久慈さんも合流した稽古になりますが、町田君の加入によって長く息を潜めていたバンドが再生した喜びは言葉で言い表し様がない程で、皆で台湾料理を食べに行って祝杯をあげました。特に久慈さんが感動していたのが印象的でした。町田君も相当な覚悟をもって参加してくれたようで、彼のブログにそれが書かれています。泣けますね。
https://ameblo.jp/naobaka/entry-12819035434.html
町田君という最高のフォワード選手をセンターに据え、MOTORWORKSはツインボーカル・ツインリードギターバンドとして復活しました。このバンドはただただ楽しく、いつも笑いの渦に巻かれています。音楽と友情と陽の結晶、それがMOTORWORKS。これからの活動を楽しみにしていてください。

この日オープニングアクトを務めてくれた弊社の新人ハヤシライフもいいライブを見せてくれました。これから最高の作品をリリースして行きますので可愛がってあげて下さい。

Day 3。そして現在の私の主軸、石田ショーキチグループです。ここしばらくの間トリオとしてやってきましたが、Ryo Ohtakiの加入により再び石田ショーキチグループと名乗るようになりました。なんと27歳の若さでイケメンの彼はギターとキーボードを弾きますのでこのバンドには二刀流が二人いることになりまして、とても面白くなりました。マキオさんと瞬君の鉄壁のgroove隊は万全の信頼を置いており、私の経歴のすべての時代の曲をさらりと演奏してくれる名プレーヤーズです。僕の楽曲の特徴は繊細ながら轟音、ヘビーながらスピーディーというところだと思いますが、彼らは本当にそのあたりを上手く表現してくれます。マキオさんと出会ったのは31年前。瞬君とも20年。長い間サポートしてくれる彼らに本当に感謝です。
このバンドに弊社ガールズ・クワイアを加えて二曲演奏しましたが、僕のような頑固者を慕って活動を続けてくれる彼女達にも感謝です。
そしてこの後に及んで新しいコーラスグループ「Three taller hats」を結成し、デビュー戦となりました。HARISSのアキラ君、元同じ事務所だった岡田純君というコーラスグループ好きのおっさん3人、これからレパートリーを増やしてぼちぼちやっていこうと思います。

このスリーデイズ、自分にとってかけがえのないものを全部お見せしようというテーマで企画した三日間でした。デビューから30年経って自分には大切なものがこんなに沢山残っているという事実が本当に有り難く、人との繋がりこそが自分の財産だと確信できました。沢山のお花、お酒を頂き、家の中がとても華やかです。この三日間に関わってくださった全ての方に、そして何より30年前に僕をこの世界に送り出してくださったポリスターの皆さんに、心より御礼申し上げます。
これからもコツコツと良い音楽を作り発信していくことを生業として頑張って参ります。引き続きよろしくお願い申し上げます。

BLOGLive

昨夜は郡山Peak actionで大変印象的な記憶に残るライブが出来ました。

福島県に入ってから触れ合う人全てが親切で温かく、旅人の私にいちいち気を配って話しかけてくれます。とても親身で人懐こく、素敵な町で、これはいいライブになるぞと予感したのが的中、会場は一曲目から大盛り上がりでした。 

会場には予想に反してアップライトピアノがあり、しかも店に入った時に調律師の今野さんがまさに調律の真っ最中で、本番では非常によく鳴るこのピアノを弾かせて頂きました。

共演して頂いたJuniさんと藤野恵美さんも素晴らしいプレイヤーで、途中うるっときてしまいましたし、店長の渡邊さんも本当に丁寧な方で音に真剣に向かい合う姿勢は見習わなければと思わされました。

私といえば普段は演奏中は絶対に酒は飲まないのですがオンラインで物凄い数のドリンク差し入れチケットを頂いてしまったので出された酒を飲まないのは男が廃るとは亡き父の遺言ですから(知らんけど)珍しく飲みながら演奏しまして、これが功を奏してか全ての曲で会場の皆さんと一体となってやんややんやの演奏になりました。

そんなホットな一夜の様子のアーカイブは本日23:59まで無料で見て頂けます!是非ご覧ください!

https://www.youtube.com/live/aINsngwKhGo?feature=share

投げ銭もまだまだ受け付けているようですのでご覧になられたら一投げおねがいします。

https://peakaction.base.shop/

さて、本日は福島市のas soon asです。大変よく鳴るグランドピアノが待っています。今日も明るい福島県民の皆さんと盛り上がっていきたいと思います!

明日は休演日で福島市から仙台まで自転車で80kmの移動、この旅最後のロングライドです。翌日土曜日は仙台の中心部からゴール地点の泉中央Cafe b.b、恐らく15:30あたりに到着の見込みです。地元の皆さん、お時間ありましたらお迎えください。その後リハーサルなど行い17:30開演となります。沢山のご来場お待ちしております。

日曜日はお代わり公演の日立に電車で移動しまして、この旅は終了となります。あー。終わりが見えて来ると、寂しいなあ。

ライブ詳細はこちら。

https://ishidashokichi.com/wp/news/1467.html

それでは会場でお会いしましょう!